アランドロンが遺した美しき息子たちを愛するが故のダークサイド

アランドロンの美貌とカリスマ性は、
1950年代後半から60年代の映画に新しい魅力をもたらした。
そんな彼のDNAを受け継ぐ子供たち

彼の遺した息子は2人 (以上!?)。
長男で俳優のアントニー・ドロン(1964年生まれ)
そしてモデル・俳優のアラン=ファビアン・ドロン(1994年生まれ)

ここでは特に美しき2人の息子たちにスポットライトを当ててみる!!

(アラン・ドロンには、認知を拒否した息子がいる。
女優ニコール・クロシェとの間に設けた息子
アレクサンドル・ドロンだ。
ドロンは生涯にわたり、彼を息子として認知しなかったという)

別件で、ドロンの息子であろう
写真家のアリ・ブローニュ(享年60歳:母親はドイツ人歌手ニコ)。
2023年5月15日にパリの自宅で死体で発見され、死後数日経過していた。
外見がどこから見ても息子なのだろうに、ドロンは認知しなかった。

・・・これだけ伝説的な美形俳優だと女性が放っておかなかったであろう。
結婚には至らなくても、浮き名を流した女優は至極多数。
正式には2人だが、認知されていない子供は他にもいるんじゃないのか?
凄いなぁ〜。英雄色を好む!?、のか。
子供の数で言えば、ジュードロウ7人、ヒュー・グラントは5人なのだから。

美しき息子アントニードロンの存在

1964年にアランドロンは、
ナタリー(のちにナタリードロンを名乗る、ナタリーバルテルミー)と結婚。

 息子アントワーヌ(後に”アントニー・ドロン”の名でデビュー)が生まれる。この年には3人でUSAのビバリーヒルズに滞在していた。

彼の母、ナタリー・ドロンは後に映画「個人教授」に出演している。

1966年フランスへ帰国した時、
映画「サムライ」に出演したことにより、
女優を続けたいと願うナタリーと対立し、やがて離婚

アントニーは今や、自身のファッションブランドも手掛けている。

 

そしてロザリー・ファンブレーメンとの間に娘アヌーシェカ・ドロンが1990年11月25日に出生。
 ロザリーはオランダのモデルで、1987年から2001年までアランドロンと交際。

1994年3月18日には、末息子アラン=ファビアン・ドロンが生まれる。

・・・彼女はドロンそっくりな息子を産んだことで知られる。
特に息子の眼差しが激似!

トップ俳優3人3様の父親像

娘を溺愛するがゆえ、バランスを崩しそうになる父親のジョニーデップ
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トムクルーズという強いコントロール下を逃れて、自分の人生を保とうとする娘。
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そして、

若い頃から華麗な恋愛遍歴を重ねながらも

粗暴な面を持ち合わせたアランドロン

一方で家庭内では暴力をふるってきた。
・・・野生の世界では、母ライオンが見張っていないと父ライオンが子供ライオンを食い尽くすことがあるという。
強烈な感性に支配された俳優という人間の世界でも、万人には理解できないことが実際には起こっているようだ。特に血を分けた親兄弟であっても。

家族を愛するが故にアランドロンのダークサイド

アントニードロンは自伝の中で、
彼の記憶には、父・アラン・ドロンの厳しさがしばしば”許容範囲を超えたという瞬間”があったことを、刻むように書いている。父であるこの男は私を愛しておらず、私の一部を破壊させた
しかし、私の父は成熟には程遠い若者の典型的で粗暴な愛と、親子の限りない深い熱意をもって、この世の他の何ものでもなく長男である私を求めていたのだと思う」
と彼は綴っている。

さらに末息子 アラン=ファビアンからも、
ロワレ地方のドーシーに住んでいた少年の頃、
母ロザリー・ファン・ブレーメンの顔が腫れあがった事件を語っているのだ。
 ドロンの家族が、田舎の大地所の閉ざされた空間で過ごした時に、
それを支配していたのは「恐怖」だった。
アラン・ドロンの怒りは、一緒に暮らす相手めがけて鞭のように降りおろされた。
アラン=ファビアンは、そんな時に嵐が過ぎ去るのを待つことを身につけた、という。
 アランが俳優として人気絶頂だった1950年代から1960年代にかけて、まだ家父長制度が健在で男尊女卑が根強い時代だったという背景がある
・・・「アラン・ドロンはよく、もっとひどい人生になっていたかもしれないと語っていた。そして、何人かの心の広い素晴らしい女性たちと出会っていなかったら、悪の道に走っていたかもしれない」ともいう近しい映画監督の証言もある。
同世代の女優ブリジットバルドーアランドロンを評した言葉が沢山のことを物語っている。
「彼は、最高にも最低にもなれる男よ」

アランドロンの遺産相続

 ”アランドロン”として生涯の大成功を収めた日本という市場では、
「私が生きている限り、絶対に日本にはドロンはひとりしかいない、それは私だけだ」と述べたという。

「2019年の脳卒中以降、父には必要な判断力がなかった」として、
末息子アラン=ファビアンは遺言の無効を求める意向を示している。

・・・まだまだこの問題は長引きそうだが、
1982年に悲劇的に亡くなった女優ロミーシュナイダー(1963年より5年間熱愛関係にあった元フィアンセ)との深い愛をアランが伝説的に生涯語られているのを信じたい。

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