誰もが認める卓越したメソッド俳優で、アカデミー主演男優賞3度受賞を誇るダニエル・デイ=ルイスが一線を退いた今、一線に躍り出た”最も脂の乗った演技派御三家”といえば、同世代のレオナルド・ディカプリオ、マシュー・マコノヒー、
そしてクリスチャン・ベールといえよう。
特に肉体改造からのアプローチで俳優としての素質全開の、素晴らしいパフォーマンスからの飛び抜けた表現力に好感が持てる、クリスチャン・ベールに注目していきたい。
”天才子役”として大成功のスタートを切ったスピルバーグ監督の「太陽の帝国」出演から、その名声を超メジャー級にまで押し上げた大作「バットマン」3部作出演直前に至るあたりを中心に彼の足跡を御紹介していこう。
プロフィール
Christian Bale、英国ぺンブルックシャー州出身 、1974.1.30生誕 51歳
プライベート
クリスチャンの映画に対する真剣な姿勢や映画愛は、観客にとって何よりものプレゼントであるが、これに劣らずプライベートでは映画界で有名な”愛妻家”であることでも知られている。
4歳年上のモデル出身のシビ・ブラジックと26歳で結婚式を挙げている。これまで実は20代の時、クリスチャンは独身主義者であったのだ。〜両親を含めた家族全員が離婚経験者であったため、「結婚する気が全くなかった」とのちのインタビューで答えている。
映画「若草物語」の共演で女優のウィノナ・ライダーと会い、この時彼女の個人秘書として動いていた今の妻と知り合うきっかけがあったという。少し話すと突然、「この女性と結婚したい」と思うほど惚れてしまい、粘り強い求愛の末に夫婦の絆で結ばれることになったのだった。
20年以上の結婚生活、現在も夫婦仲睦まじく一男一女に恵まれ、楽しく暮らしているようである。クリスチャンはいつも、「今の自分の成功は、すべて妻のおかげ」と褒め称えているそうな。
俳優になるきっかけ
クリスチャンベールが演技を始めたのは、純粋に経済的な理由からだった。
彼の家族は貧窮に苦しみ(両親と3人姉弟)、家賃を払えず何度も家から追い出されもしたのであった。しかし驚くべきことに、クリスチャンはこの時代を”悲しい記憶だと思っていない”、とインタビューに答えている。
悲しくはなかったのは、彼の父親のおかげだと思っているからのようだ。彼の父は、強制的に引っ越さなければならない度に、子供たちに混乱を与えないように新しい冒険を楽しむような演技をしたのだという。〜クリスチャンはこの時を回想しながら、安定した場所を子供に提供できないことは、親として心が痛かったはずなのに、ここまで必死に男らしさを見せようと努めた父親の姿が、歳月がかなり経ってから”悲しい演技だった”ことを知ることになった、と話している。
このような頻繁な引越しは新しい環境に慣れる頃に再び、クリスチャンをさすらう生活に追い込むことになり、数えきれないほどの見知らぬ環境に慣れなければならなかったようである。この時代を通じて幼いながらも大きな悟りを得ることができたのだった。
どんな環境に置かれても最初は大変であるが結局時間が経てば事態は良くなる、ということに気づいた。まさにこの教訓が幼い頃、貧しかったことに対する最大の収穫だったと話すことになるのだった。
クリスチャンの父親は軽飛行機の操縦士であり、母親はサーカスの公演家であったため、収入が不安定だったようである。
そのため、8歳で生計を助けるために、テレビ・広告モデルとして活動を始動。
最初は、ミュージシャンを目指す長姉の影響で音楽の道を志すも、結果的に途中で役者志望に転向。それというのも、両親に手を引かれてモジモジとオーデションを受けに行っていたのだが、実際にダンスや演技をさせてみると、ものすごい才能を発揮した彼は映画界に進出することになるのであった。そのため10歳より本格的に演技をはじめ、演劇学校に入学している。
・・・ここに彼のオーディション風景の動画がある。音楽に合わせたダンスにしても、まず凄い運動量である。”目立とう精神”ではないが、小さな身体をフルに使って自分なりに表現しようという意思が伝わってくる。演技オーデションでは、子役上がりにありがちな過剰感情表現とは違った、子供らしい表情で場に溶け込んでいるように思えた。
デビュー作は、映画「アナスタシア/光・ゆらめいて」(1986) 〜お薦め・その1
デビュー作は12歳の時に出演した、映画「アナスタシア/光・ゆらめいて」(1986)であった。実話を基にした映画で、クリスチャンは悲劇的な実在の人物を演じたのだが、その役というのが13歳で革命軍に処刑されたロシア最後の皇太子(アレクセイ・ニコラエヴィッチ 1904~1918)というものであったのだ。
幼い歳でも人生の重さに耐えられなければならなかったこのキャラクターを演じた上で、かなり印象的な演技を披露し、このデビュー作から既に大成する片鱗を見せていたのだった。
スティーブン・スピルバーグ監督「太陽の帝国 ENPIRE OF THE SUN」(1987)主演 〜お薦め・その2
当時スピルバーグ監督の夫人が、映画「アナスタシア」を観てクリスチャンの演技力に惚れ込み「あの子はすごい」と夫に強く薦めた事により、4000人のオーディションの中から次回作「太陽の帝国 ENPIRE OF THE SUN」の主役にクリスチャンを抜擢という破格の大決定が下されたのだった。
第二次世界大戦で日本軍の捕虜収容所に閉じ込められた少年を演じたのだが、幼い子供の視線から見た戦争の惨状をよく表してくれたという好評を受け、特にこの映画での彼の目つきの演技は、多くの観客を魅了したのであった。
この映画での演技により、クリスチャンベールはその年の”青少年最優秀演技賞”まで受賞している。
初主演を引き受けた映画で、とてつもない存在感を表し”スター誕生”を予感させたクリスチャンベール。この調子で彼は成長街道をまっしぐら、そして世界的な俳優に・・・
・・・とはならず、彼はこのあと十代を彷徨うことになるのだ。
ハリウッド”子役のジンクス”
まさにハリウッドにおける成功した”子役に降りかかるジンクス”に陥ってしまったクリスチャン!この”ジンクス”とは、幼い年齢で頭角を現す俳優たちがよく苦しめられるもので、だいたい二つの理由から発生するものである。
一つ目は、幼い子供が耐えられないほどに世界の注目が集中することに対する副作用で、まだ精神的に成長していない時期に迎えるこのような関心と未経験なストレスは、子供の脳に物凄い負担を強いることになる。この時期の過度の注目が、自分は最高だという自惚れと傲慢さで表されてしまうことがある。
そして二つ目の理由として、「両親」が大きく関わってくるのだ。子供がスターになっていくことに対する満足感や、その成功によってかなりの収入が両親の背中に背負わされていくことになるというプレッシャーがある。
クリスチャンの場合、彼はもともと人々の注目を集めるのが好きな性格ではなかったということである。そもそも俳優の道を進むことになったのも、単に家計のプラスになって欲しいという両親の勧めがあったからこそ、というのである。〜何度も演技を辞めたかったのに、今や家計の大黒柱となって収入が見込めるようになってからは、もはや俳優の仕事は選択ではなく”必須”にしてしまったのである。この頃にはクリスチャンの仕事は”夢”ではなく、”こなす仕事”に近いものになっていたのだった。
・・・この時を回想しながら彼は、「家族のために生計の責任を負うという自負心はあったが、当時の演技活動は”監獄のように感じられもした”」と話している。
日本でも、若くして成功してしまった人に人生”勘違い”してしまった人の話を聞くが、そこから軌道修正するのは並大抵なことではないと思う。走り出してしまった歯車は、大人の手によって更に加速され、その後の人生まで破綻させてしまった例も少なくないのだ。側から見る”若くして成功した人生の苦しみ”って、想像がつかないなあ。
〜クリスチャンが背負った”負の財産”とは、
子役時代に映画のプロモーションのためのインタビューやイベントに参加する際には、人々の関心が集まることにノイローゼになったり、一度は心臓がドキドキするのが抑えられなくなり途中で席を中座することもあったそうな。こういうこともあってから、幼い年齢で加重されるストレスにより、クリスチャンは結局俳優を辞めることを決心することになるのだ。しかし、その度に両親に説得されたのだ。
そのこともあって彼の父親は、最初からやっていた仕事を辞めてクリスチャンの専属マネージャーとなり、彼を積極的にサポートすることになったのである。
20歳の助演「若草物語」〜お薦め・その3
印象的な子役時代に比べて、青年期はパッとしない出演が続いていた。「ニュージーズ」(1992)
そうこうするうちに、20歳になった1994年には「若草物語」に助演として出演し、クリスチャンは久しぶりに少し注目されることになった。この映画に出演になったきっかけは、当時トップスターの仲間入りをしていた、まさに”ウィノナ・ライダーの口利き”だったのである。彼女はこれまでのクリスチャンの出演映画での演技に注目してきていて、直接監督にクリスチャンを推薦してくれたのだった。
・・・このウィノナ・ライダーとの共演をきっかけに、彼女の秘書をしていた、
後に妻となるシビ・ブラジックと知り合うことになる。
いやぁ、どこに”御縁”が転がっているか、わからないものだねえ。
超現実主義的演技スタイルである「メソッド演技法」へ舵を切る
「若草物語」出演後あたりから、クリスチャンは演技力向上へ意欲が湧いてきたようである。超現実主義的演技スタイルである「メソッド演技」への開眼である。
「メソッド演技」とは、引き受けた役のキャラクターに精神と肉体の全ての面で移入し、演技するこの方法は役に相当な没頭を与え、なりきるという長所があるものの、
一方、俳優本人と周辺人物がその副作用の悪影響を被りかねないという致命的な短所が挙げられるのだ。
・・・悲惨な例として、ジャック・ニコルソン、ヒース・レジャー、ジャレッド・レトがある。(「メソッド演技」については、別回で取り上げることにする)
これが大きな決心の始まりであり、20代の頃からこの「メソッド演技」と危険な同居を始めることになったのだ。
「アメリカン・サイコ」(2000)主演 〜お薦め・その4
「メソッド演技」を初めて取り入れたのは、この作品「アメリカン・サイコ」。
〜私は当時、ブレット・イーストン・エリスの分厚い原作本の翻訳を読み切ったのだが、音楽やファッションへの造詣も深くて、はたまたヤッピーなアメリカ人の鬱屈した精神の病巣をついていたようで、読後複雑な心持ちになったことを覚えている。
これをクリスチャンベールという役者が演ずるということで、映画にはかなり期待大な心持ちだった。鑑賞後の映像は、う〜ん・・・。これが原作に忠実だとは思えなかったが。
ここでクリスチャンはサイコパス(殺人鬼)を演じたのであるが、社会に染まった虚栄心を風刺するブラックコメディ的要素がバカ受け、好評を呈する映画となった。
この作品の中で、主人公は毎朝奇妙な日課で1日を始めるのであるが、クリスチャンはこのキャラクターに完全に憑依するために、撮影期間中この朝の奇妙な日課をそのまま真似していたそうな。またこのキャラクターは徹底したナルシストであったので、自分の身体にウットリするように毎日3時間筋トレをしながら肉体改造をしていったようだ。そして彼は健康な歯で笑みを作る貴族的なサイコパスを徹底して演じ切ったのであるが、世間ではこのキャラクターのイメージが余りにもおぞましく、これからの彼のキャリアに悪影響を及ぼすのではないかと評価が上がるほどだった。
このように内面だけでなく、外見までも役に完璧に一致させる彼の演技スタイルはますます極限に進むことになるのだった。
それを見せてくれる代表的な映画が、こちら
映画主演作「マシニスト」(「THE MACHINISUT」2004)〜お薦め・その5
ここでクリスチャンは、不眠症に苦しむ痩せ型キャラクターを演じているのだが、そのアプローチというのが、不眠症患者の精神状態を感じるために1日に2時間ずつ睡眠をとりながら、更にこのキャラクターの悲惨さを表現するために肋骨が見えるほどの減量を敢行したそうな。
2ヶ月間、毎日リンゴ1個とマグロ缶だけを食べながら30kgを減量し、更に上着を脱ぐ撮影があるときには一日中、水さえ飲まずに持ち堪えたのだという。
このような姿を見守っていたクリスチャンの夫人は、夫が寝る度に突然死しないかと心配で息をしているのか鼻に手を当ててみるのが日課だったというのだ。
この映画で、パイとチキンを食べるシーンがあったものの痩せ細った体つきを維持するために飲み込まずに吐き出した、と言及している。
このような聖人的苦行が続いていたため、撮影現場に来ると話す元気さえなく、セリフ以外一言も話さなかったそうだ。監督の指示にも頷くのが彼にできる全てだったようで、クリスチャンに言わせればこの点がむしろ寂しさこの上ないキャラクター性を維持するのに役立ったと、後にコメントしていたのだった。
〜撮影が終わって数ヶ月後に製作陣に会うことがあった時、クリスチャンが正常に話す姿を見て驚いたという。「やっと初めてクリスチャンベールという人に会えました」
「本当に魅力的ですね」
「撮影の時はまるで幽霊のようでしたから」
・・・驚くべきことにクリスチャン・ベールは後にこの頃を回想して、むしろこの映画を撮影していた時が「人生で一番幸せだった時期」だったそうな。
他人の目には大変そうに見えたかもしれないが、むしろ浪費するエネルギーがないため毎日必要なことだけを最小限しながら過ごすことができ、忙しく生きてきた過去には経験できなかった”平和で静かな内面”を楽しむことができた、と彼は感想を述べている。
〜確かに、”平和で静かな内面”を楽しむ生活って、理想だよね。
そしてこの翌年の2005年には、今となってはクリスチャン・ベールの代表作ともいうべき「バットマン・ビギンズ」が公開されることになるのだった。
コメント