大好きだった実兄リヴァーフェニックスの死を乗り越え、同年齢の好敵手レオナルドデカプリオと競いながら、2020年「ジョーカー」でアカデミー主演男優賞を獲得した
今となってはハリウッドきっての個性派で実力派俳優である
若い頃のホアキンフェニックスの足跡を一緒にたどってみよう!
プロフィール
Joaquin Phoenix プエルトリコ・サンフアン出身 米国人 1974.10.28生誕 51歳
父親はガーデニング会社経営、母親は活動家。
超人気俳優だったリヴァー・フェニックスは5人兄弟の長男であり、
5歳年上の実の兄。
姉のレイン・フェニックスと妹のサマー・フェニックスも現在は俳優として活躍し、もう1人の妹リバティ・フェニックスも子役として活動していた時期があるという。
ホアキンはフェニックス家5人兄弟の第3子として、プエルトリコで生まれた。
両親は、信仰心を失って団体を離脱し、宗教を断つため、フロリダへ一家で引っ越した。ホアキン4歳の時だった。
”子役”発掘の第一人者に見そめられる
この家族の子供たちも幼い時から家計を支えるために働いていた。
そのため引越し先でも、また路上ライブを始めた。新興宗教で学んだことをそのままにフェニックス5兄弟は色を合わせた服を着て歌を歌い、通行人がくれる銭を集めて生活費の足しにしていた。
そんなある日ホアキン曰く、
客の輪の前に現れた一人の女性によって一瞬にして全てが変わることになるのだが、
いつものようにフェニックス5兄弟が路上ライブをしていた時のこと、
〜一人の女性が人波の中から彼らを意味深に見つめていたのであるが、次の日も次の日も同じ時間に現れて、彼らをじっと見ていたのだった。
そして3日目、この女性は彼らに近づき正体を明らかにした。
ハリウッドの有名な子役エージェントだったのである。
この女性の名前はアイリス・バートン、”子役”発掘の第一人者で、この人が発掘した有名な子役俳優には、
なんと15年もの間、映画界で歴代興行ランキング第1位を守り抜いて、伝説的な映画「E.T」の主役を務めた元・子役俳優のヘンリートーマス、
そして、のちに「スパイダーマン」シリーズのヒロインに生まれ変わる女優キルスティン・ダンストがいた。
子役エージェントのアイリスは、フェニックス兄弟の中でも
特に長男のリヴァーを見て、可愛いいながらもカリスマ性のある両面で抜きん出ている姿が”俳優として大成する器”だと感じ、惹きつけられたらしいのだ。
リヴァーを俳優として育てたいという提案を聞いた両親は、ある前代未聞の条件を出すのであった。
そして5人兄弟が皆、俳優になった
それは、「必ず5人の子供全員と契約すること」
というものであった。
どうしてもリヴァーを手に入れたかったアイリスは、このとんでもない条件を受け入れ、これによって5人兄弟は様々な広告を撮り始め、テレビドラマにまで出演することになったのである。
ホアキンは”リーフ”という改名後の名前で認知度を高めていった。路上ライブをしていた才能が役に立ったのか兄のリヴァーと共にホアキンはすぐに子役俳優として注目を集めていったのだった。
この時、兄リヴァーと一緒に出演した作品がかなりあったようである。
映画「バックマン家の人々」(1989)主演
ホアキンの若い頃、子役時代の作品の中で一番注目を集めたのは、
80年代の家族映画「バックマン家の人々」だった。ここでホアキンは”父に捨てられた少年”役を演じ、子供らしくない感情豊かな深い演技をして絶賛されたのだった。この時の素晴らしい演技により、「子役の主演男優賞」を受賞したほどだった。
「バックマン家の人々」は、製作費の6倍以上の利益を出して大成功を収め、
これほどとは予想もできないような大成功を収めると、制作会社は初めからこの映画をシーズンドラマとして今度はリメイクしようと決定した。
ホアキンは自分を主役にした長期シリーズ(12部作)に参加できるので、ワクワクしていたのだった。
しっかし、こんなことがあっていいものか!
ホアキンにとって青天の霹靂のような知らせが飛び込んできたのだった。
主役交代!
子役主演男優賞まで受賞したこの役のドラマバージョンでは他の俳優に交代してしまうというニュースで、
さらに自分の代わりとなる俳優の名前を聞いたホアキンは、さらに大きな衝撃を受けるのだった。
それは今日まで最高の俳優の一人であり、子役時代から容姿端麗で有名だったあの俳優、
”レオナルド・ディカプリオ” だった。
”レオナルド・ディカプリオ”に役をさらわれる
実はホアキンは子役として活動している間、オーディションの最終段階で同い年のレオナルドに度々負け、「また、アイツだ!」と心の中で思っていた。
その都度、脱落していったのだ。
・・・レオは余裕で、「また会ったね。・・・フフフ」
実際にレオナルドの顔を見るまでは、漠然として怒りが沸き起こっていたのだが、ある日彼の顔を実際に目にしてから、これは絶対に勝てない戦いだと納得したそうな。
・・・納得するほどに”美形”俳優のレオナルド。
こりゃあ、ルックス&オーラで太刀打ちできんわ、と誰もが思うんだね。
若い頃、子役時代にレオナルドに負けた記憶がかなり強烈に残っていたのか、
のちに「ジョーカー」で主演男優賞受賞した時の授賞式のスピーチには、ホアキンはレオナルドに言及し、意地悪なコメントで彼に苦笑させたことがあったのだ。
その時のスピーチが↓
・・・実は子役時代、いつも一人の子供に役を取られてしまっていました。全ての関係者がその子を見るとヒソヒソと話すんです。
「レオナルドだ、レオナルドだ〜」と。
一体その”レオナルド”って、誰なんだ? ってね。
今回は、”我こそ主演男優賞を勝ち取ることができた”と、してやったりの気分。
子役の時にオーディションで散々苦渋を飲まされたリベンジが、ここで果たされたという気持ちなのか。
人気絶頂の”リヴァーフェニックスに似てる”と豪語
子供時代、ホアキン最大の”憧れ”とは、実兄のリヴァーフェニックスだった。
当時”最高の青春スター”の仲間入りをしたリヴァーフェニックスは、
愁いを帯びた目つきと麗しいイケメンのイメージで大人気となり、特にキアヌリーブスと共演した映画「マイプライベートアイダホ」(1991)では、その美貌と演技力が最高潮を迎えていたのであった。
・・・映画界に将来性のあるリヴァーをどうしてもスカウトしたかった、子役エージェントのアイリスバートンの目は確かだった、ということだね。
当時のこのような圧倒的な人気により、のちに人気俳優となるレオナルド・ディカプリオまでリヴァーにあやかって、
「自分がリヴァーに似ている」とアピールするほどだった。
・・・ホアキンにしてみれば、
「うちの実の兄さんなのに。レオナルドに憧れられて、人気に便乗される筋合いはないよ。」というところだったのだろうか? 〜ライバル三角関係
さらに、
レオ「僕が誰に似ているのかって?ちょっと幼い”リヴァーフェニックス”です」
・・・実の弟の目の前で、売り出すために兄の名前にあやかるなんて。
って、思ったかも。 〜ライバル三角関係
若い頃のホアキンはこのような実兄リヴァーをを、いつも憧れの眼差しで見ていた。
憧れの兄、リヴァーフェニックス急浙
しかし、そんな尊敬する兄リヴァーフェニックスとの別れは突然やってきた。ホアキン19歳、リバー23歳、1993年のハロウィンの夜のことだった。
兄リヴァーと姉レインとともにホアキンフェニックスは、俳優のジョニー・デップが所有するナイトクラブを訪れた。
友達と過ごす楽しい夜になるはずだった数時間後、
クラブから離れて道路上にリヴァーが倒れていて、瞳孔が青く開いたまま激しい痙攣を起こしていたのだった。
ホアキンは茫然としたまますぐに911へ電話をかけたのであった。すぐに救急車が到着したのだったが、リヴァーはすでに息を引き取った後だった。
そこで兄リヴァーが麻薬を大量に服用していたことが判明、
その後”リバー・フェニックス、心不全で死亡する”という事件にまで発展することになる。
その夜、大好きな兄が意識がなくなって倒れているのを目の当たりにしたホアキンフェニックスは、救急隊員へ急いで電話をしたのだが、ホアキンの平静さを失いパニックになって電話で話している状態のその通話記録をなんとテレビで繰り返し放送されるということがあったのだ。
兄リヴァーの急死のショックに追い打ちをかけるような、電話記録の暴露話まで旬のエピソードとして広められ、失意のどん底にホアキンは沈んでいったのだった。
この事件により、ホアキンは人間不信に陥り、しばらく俳優業から遠ざかることになる。
2年後に俳優としてカムバック!映画「誘う女」(1995)出演
生前、兄リヴァーが「俳優になるのがお前の進む道だ」という言葉が心に残っていたことで、ホアキンフェニックスは俳優にもう一度復帰することを決心した。
・・・絶望的な出来事から立ち直ったことで、ホアキンフェニックスの人間味が深まり、演技にも幅ができて、それが役にも現れていたのだろうか?
そして、子役の時に名乗っていた“リーフ・フェニックス”ではなくホアキンフェニックスとして数々の作品に出演した。
20歳で俳優業を再開!
最初の出演作はガス・ヴァン・サント監督の「誘う女」(1995)
この作品では、ニコール・キッドマン演じるキャスターの女性スーザンに誘惑され、彼女の夫を殺害する高校生のジミーを演じたホアキン。
ファム・ファタールを演じたキッドマンの演技が批評家から大絶賛されたことで作品自体の評価も高まり、それが追い風となってホアキンの俳優としての飛躍の大きな足掛かりとなったことは疑いのない事実だ。
映画「ジョーカー」(2020)でのアドリブから、 歴史的名場面に語られる ”階段ダンス” 登場!
ライバルである、あのレオナルドディカプリオも断った”ジョーカー役”を引き受けた、ホアキンフェニックスは役作りに没頭した。
現実には存在しない”ジョーカー”を表現しようと、
兄リヴァーが尊敬していた俳優ロバート・デニーロのように役になりきっていた。
生前の兄リヴァーの言葉の、
「断言する、お前(ホアキン)はきっとあんな風(ロバート・デニーロ)になるだろう」
という言葉を忘れなかったからだ。
ホアキンの役に向き合う姿勢に感心した監督は、大抵の動きにおいてはホアキンは思う存分アドリブするように任せていた。ホアキン側の「好きなようにやらせてくれ」との希望もあって。
こうして歴史的な名物場面での”階段ダンス”が生まれた。
「・・・ジョーカーが頭の中で聞こえる音楽に合わせて、踊りながら階段を降りてくる」というような一文だけ書かれていた台本から、
全てのダンスの一つ一つがホアキンのアドリブによって”階段ダンス”としてパフォーマンスされ、映画のワンシーンにビジュアル化されたのであった。
映画「ジョーカー」(2020)、渾身の演技でのアカデミー主演男優賞を獲得した
生前の兄の切実な夢である、
”俳優ロバート・デニーロのように”役になりきる演技をこの作品で成し遂げたホアキンは、アカデミー授賞式のスピーチで兄について言及し、哀悼の意を述べた。
〜 それから数ヶ月も経たないうちにホアキンと妻ルーニーマーラの間に男の子が生まれた。ホアキンはこの子を「リヴァー」と名付け、”新たなリヴァーフェニックス”の誕生を知らせたのだった。
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