日本でのアメリカの俳優”ジャン=マイケル・ヴィンセント”の名前は、
1984年にスタートしたTVシリーズ「超音速攻撃ヘリ・エアーウルフ」出演で広まり、ヴィンセントの精悍な顔つき、陸軍上がりのキビキビした動き、サラサラの髪は誠実で若く見えた。
時に緑がかってみえるブルーグレーの瞳、憂いを帯びた表情の演技で、
日本でも人気が爆発したことは間違いなかった。
”すごく大人なアメリカ人”に見えた。
”カッコイイ”って言葉は、彼を見てから使い出したような気がする。
プロフィール
Jan-Michael Vincent 米国 フロリダ州デンバー出身
1944.7.15生誕〜2019.2.10に73歳で亡くなれている。
空軍パイロットの父を持ち、カリフォルニアの農場で育った。
カレッジでの彼は芸術を専攻していた。
彼には一人娘、アンバー・ヴィンセントがいる。
主な出演作:
史上最大のスーパーチャンピオン(1973)
爆走トラック’76(1976)
世界が燃えつきる日(1977)
ビッグウェンズデイ(1978)
エアーウルフ(1984)
陸軍除隊後LAに移り住み、そこでエージェントと出会い、
1968年映画「テキサスの7人」でデビュー、端役で俳優としての活動を始める。
1972年の映画「メカニック」あたりから注目を受け始め、1975年には映画「弾丸を噛め」に出演。
1978年の「ビッグ・ウェンズデー」に主演してスターの仲間入りを果たす。
「爆走トラック’76」では、人気俳優だったバートレイノルズとの共演を果たしていた。
ヴィンセントが輝いた映画「ビッグウェンズデー」
1978年のサーフィン映画『ビッグウェンズデー』に、主人公のマット( Matt Johnson )役で出演し、ダイナミックなサーフィンのシーンが話題となったが、ヴィンセントは自らスタントをこなしたことで話題となった。
この作品で、多くの観客に鮮烈な印象を残し、スターの仲間入りを果たすことになる。映画タイトルにある、水曜日に現れると言われている伝説の大波「ビッグ・ウェンズデー」に憧れを持つ主人公のマット、
ジャック(ウィリアムカット←詳しくはコチラをクリックしてね)、
リロイ(ゲイリービジー)、
と3人のサーフィン仲間。
ベトナム戦争の徴兵を経て、再会した彼らが再び波へ挑むというストーリーで、
この作品でヴィンセント演じるマットに憧れを抱き、サーフィンを始めたという人も多い、と聞く。
トップスターの仲間入り
また、米国のCBSが1984年から放送を開始した
テレビドラマ・シリーズ『Airwolf』に、主人公のストリングフェロー・ホーク( Stringfellow Hawke )としてヴィンセントは出演した。
このシリーズは1987年まで続く人気シリーズとなり世界各国でも放送、
日本では、『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』のタイトルで1986年10月から1987年11月まで放送されている。この番組中に主人公たちが装着するヘルメットは、レプリカが販売されるなどの大きな話題になった。
私がヴィンセントを初めて観たのは、「世界が燃えつきる日」(’77)であった。
ジャン=マイケル・ヴィンセントは、私の米国俳優への”憧れ”の扉を開いた記念すべき人物となった。
人気ドラマシリーズ「エアーウルフ」では、
当時のアメリカのテレビドラマ界で最も高額な出演料でオファーされていたヴィンセント。
その額はなんと20万ドルとも言われている。
その際ヴィンセントは、
「I never thought about being the highest paid. I just wanted to be someone that people cared about watching, and I feel I’m a good actor.」
(邦訳:私は最高の出演料をもらうとは思ってもみなかった。ただ人々が気にかけてくれる俳優になりたかっただけ、そして優れた俳優の気分だ)こう語り、人々の支持を集めていた。
人気スターの晩年
「戦争の嵐」(1983)にも出演しているが、ヴィンセントが演じたバイロン・ヘンリー役はカリスマ性があってウケが良かったようだが、彼は当時深刻な飲酒問題を抱えてたことで、次のシリーズ出演続投できなかったという経緯があった。
この作品こそ、第二次世界大戦を背景にした名作ドラマとして知られているのに。これって非常に残念な話だよね。
ジャン=マイケル・ヴィンセントは、やはり
長年にわたるアルコールとドラッグの依存症に苦しんだらしい。
2012年頃には感染症により右足を切断し、車椅子生活を余儀なくされた。
その後も重篤な合併症を抱えていた、という。
晩年の痛み苦しみに同情し、
2019年2月10日に亡くなられた
ジャン=マイケル・ヴィンセント氏のご冥福をお祈りいたします。

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