リーアムニーソン妻 およびターニングポイントとなった女性たち

輝かしい俳優としてのキャリアをもつリーアムニーソン。
様々な映画への多数の出演歴を持つ彼だが、これは単に彼一人だけの力では到底成し得なかったことであることは著明である。リーアムの成功の影には、彼を支える”女性”アリ!
ここでは決して浮き名を流すだけにとどまらない、人生の岐路を共に歩んだ女性にスポットライトを当てて、紹介して行こうと思う。
そこにはリーアムニーソンの豊かな人格ゆえに寄り添う姿が見られて、
我々も、つれあいとの”出逢いと別れとは”を、考えさせられるものがあるに違いない。

プロフィール

Liam Neeson, 北アイルランド アントリム県出身、1952.6.7生誕

最初の出会い人・ヘレンミレン

リーアムニーソンのスクリーンデビュー作「エクスカリバー」でヒロインを演じたヘレンミレンが、まず挙げられるであろう。リーアムの”一目惚れ”から始まって、この二人は「エクスカリバー」の撮影をきっかけに交際を始め、同棲まですることになったのだ。出会いの時点ですでに映画スターであったヘレンは、様々な映画関係者との出会いの場に常にボーイフレンドである彼を連れて行き、引き合わせていた。裕福とはいえない環境で育ったリーアムはこの時生まれて初めて中華や日本食を口にするように、これまでとは違う新しい環境に順応していったのだという。彼女の取り巻きでは、ヘレンより7歳も年下だったこの男を、ただ一時の彼氏に過ぎないと思っていたらしい。しかし、この二人は皆の予想を裏切って、その後4年以上も交際し、だんだん真剣な交際であると認識されるようになったのだ。ヘレンは映画関係者に会うたびに積極的に彼氏であるリーアムをアピール、「彼の演技は最高よ」と。
ヘレンのおかげで、リーアムニーソンは短期間で相当数の映画に出演し経験を積むことができたのだ。しかし、リーアムはこの状況をそれほど幸せだと感じていなかった。彼女のおかげで映画出演のオファーは絶えなかったが、ある瞬間には「これは自分の人生ではなく、他人の人生を生きている」ような気がしていたのである。いつの間にか周りにいる人たちは、ヘレンの知人だけになり、仕事もヘレンによって得た役だけになってしまっていた。
この当時、ヘレンミレンはカンヌ国際映画祭で主演女優賞を受賞するなど、彼女の人生で最高の全盛期を迎えていたのだった。

結局この二人は交際から4年経った1985年に別れている。この時リーアム自身も、それなりに仕事で波に乗り始めた時期だったため、お互いに多忙なスケジュールを送り、離れている時間が長くなったことで自然に別れる形となったようだ。しかし、二人は決してよくある浮気やアルコールが原因で別れたわけではないようだ。キャリア格差が原因との憶測もあるが、二人の愛が深かったせいで「なかなか別れることが出来なかった」と、のちにヘレン・ミレンはインタビューにて答えている。

・・・一緒にいられる時間が取れなくなれば、必然的に心も遠くなってしまうということか。こういう時、お互いに歩み寄る姿勢があればと考えるのだが、仕事でノッテいる時はさらに難しくなるかもね。

19歳のジュリア・ロバーツとの出会い

大作映画「ミッション」(1985)に出演後、米国進出を果たしたリーアムであったが、この頃助演だけでヒット作もないまま数年が経過していた。このパッとしない時期に彼を癒してくれた一人の女性がいた。その女性こそ、ジュリア・ロバーツであり、「サティスファクション」という映画の撮影をきっかけに知り合うことになるのだ。当時、無名女優だった19歳のジュリアと付き合うことになったリーアムは35歳で、2人の年齢差は16歳であった。ジュリアはリーアムの”大人っぽさ”に夢中になり、リーアムも大変な時期にいつも隣で笑っていてくれるジュリアに夢中になったのだとか!?しかし、次の映画「マグノリアの花たち」を撮影していたジュリアは相手役になったディラン・マクダーモットと惹かれ合い、結局リーアムとの恋は短命に終わったとのこと。ジュリア・ロバーツはこの翌年1990年、初めて主演を演じた「プリティウーマン」が大ヒット。ジュリアは20代前半で”ハリウッドの新星”として脚光を浴びることになった。彼女との別れなど、この一連の出来事にリーアムは大きなショックを受け体調を崩してしまい、この頃、結腸除去手術という大きな手術も受けている。
・・・大恋愛を肥やしに大きく育っていく”女優”は逞しいよね。愛情を注ぎ込んだリーアムは、なんだか可哀想だね。でも、この出会いがあったからこそ、お互いの躍進につながったと後になって振り返ることができるから、必要な出会いだったんだろうね。

つかの間の恋、ブルック・シールズ

「あなたは次に出会う人と結婚するわ。」

プロポーズを断る際ブルック・シールズはリーアム・ニーソンに対してこんな言葉でお断りしたそうな。3ヶ月ほどで破局してしまう恋だったが、彼女を忘れられなかったリーアムは今度はプロポーズという形で復縁を迫ったのだそう。

リアムへの気持ちがすでに冷めてしまっていたブルックが、プロポーズを受けることはなかった。ブルック・シールズはリーアム・ニーソンより13歳年下の女性。それなりに、相手を傷つけないための文句だったのであろう。
「あなたが次に出会う人・・・」

その人こそ、リーアム・ニーソンが、のちに妻となるナターシャ・リチャードソンであり、かけがえのないパートナーとなりうる女性だった。

最愛の妻、ナターシャ・リチャードソンとの出会い&結婚

リーアムとナターシャ・リチャードソンの出会いは、1993年のブロードウェー舞台「アンナ・クリスティ」での共演だった。すぐに意気投合した二人であったが、この頃ナターシャにはまだプロデューサーのロバート・フォックスという夫がいた。一方、リーアムは女優やミュージシャンとのホットな噂がありながらも、まだ独身。
相性のいい相手との共演が功を奏したためか、この舞台「アンナ・クリスティ」は大成功を収めた。リーアムの方は、それから「シンドラーのリスト」の主演に抜擢されるなど、まさに幸運が転がり込んできた頃でもあった。舞台終了後もナターシャを忘れられなかったリーアム。この頃には、ナターシャは、すでに離婚が成立しており、なんの障害も無くなっていた二人は交際をスタート。
その後すぐに結婚。1995年には長男のマイケル、1996年には次男のダニエルをもうけている。ナターシャも息子たちの出産後も映画、ドラマ、舞台と忙しく女優業をこなすなど公私共に順調で幸せな日々を送っていたのだった。

結婚16年目の悲劇

俳優人生の黄金期に向かっていったリーアムニーソンは、ある映画によって思い切って大変身を遂げることになるのだった。その作品とは、ある父親の復讐劇を描いた映画「96時間」(原題「TAKEN」)である。この映画は、リーアムニーソン特有のカリスマ性が大爆発した会心作で、世界中で大ヒットを記録し、56歳の彼に多大なる名誉を与えたのだった。

しかし、よりによって人生の第2幕があがろうとしていたこの時期、プライベートでは彼の人生において最も辛い経験をすることになったのだった。
結婚して16年目を迎えた2009年、妻がスキーをしている最中に頭をぶつけてしまうという事故に遭ったのである。その時リーアムは遠いカナダで映画の撮影をしていたのであったが、妻が気を失ったまま目が覚めることができずにいる、という知らせを受けて大急ぎで病院に駆けつけたのだ。そして妻はこの日以来、永遠に目が覚めることは無かったのだ。この時妻ナターシャの年齢はわずか45歳。
演劇俳優としても長く活躍していた彼女を追悼するために米国ブロードウェーと英国演劇街は、彼女の死亡翌日すべての照明を2分間消して、彼女を追悼したのであった。
妻を亡くしたこの時期のリーアムは、忙しくしていれば悲しみを紛らわせるかもしれないと狂ったように映画の撮影をしたのだ。この時からたった10年間で、30本を超える映画に出演するという多忙な活動をしたのだった。しかし、リーアムニーソンにとって、簡単に忘れられるようなことではなかった。彼はSNSのメッセージに、

「世の中で一番辛いことは、愛する誰かを失うことだ」
「16年間計り知れないほどの喜びと愛を与えてくれて、私の全てだった妻がたった一夜にして消えた」
「この瞬間、皆さんは家族の大切さについて考えてほしい」
「なぜなら、いつか携帯電話の連絡先リストから彼らの名前がなくなるかもしれないのだから」

と、書き込んでいる。

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