リーアムニーソン スターウォーズ出演までの”若い頃”を追ってみた!

2025年4月公開の最新作「プロフェッショナル」は、伝説の殺し屋が正義のために“最後の死闘”に身を投じるハードボイルド・アクション映画であるが、御年73歳とは思えない強靭なパフォーマンスを披露しているリーアムニーソンの知られざる”若い頃”をご披露しようというものである。まずは、メジャー大作「スターウォーズ」(1999)への出演を勝ち取るまでの彼の苦労人生を追ってみよう。

プロフィール

Liam Neeson, 北アイルランド アントリム県出身、1952.6.7生誕

父親バーナードはカトリック系小学校の管理人、母親キャサリンは料理人。
エリザベス、バーナデット、ロザリーニという4人兄弟の3番目。”リーアム”という名前は、地元の神父様の名前からとったと言われている。

紆余曲折の俳優への道のはじまり

9歳からボクシングを始めて、10代はボクシングに明け暮れる。〜のちのアクションスターとしての立ち回りの礎は、もうこの頃から片鱗を見せていたんだねえ。
しかし事の始まりは、ある試合でのこと。見事勝利を収め嬉しい気持ちで待合室にいる父親に会いに行った時のことであった。確かに父が何か話しているが、全く何も聞き取れないという異常現象に襲われたのだ。まるで全く理解できない外国語のように聞こえたのであった。・・・そう、”ブラックアウト”を経験したのだ。
幸いなことにこの症状は数時間で収まったのだが、この経験はリーアムにとって”トラウマ”になってしまった。このままでは大変なことになるかもしれない、と。
彼は最終的に、リングに別れを告げることになる。

それからのこと、リーアムは他に没頭できるものを探し回った。そんななか、彼は新たに興味を惹かれるものに出会った。それはまさに”女性”だった。ある同じ年の女性にゾッコンになってしまったのだ。この女性が演劇部で活動しているという情報を入手したリーアムは即、演劇部に入部、そして自らこの女子学生と一番多くのセリフのやり取りができる役に志願したのであった。こんなふうに、恋を追い求めて始めた演劇は、いつの間にか彼の新しい生きる道となり地元ベルファストの演劇フェスティバルで”最優秀俳優”に選ばれるなど、早くもこの分野で頭角を表したのであった。
素質もあったし、面白さも感じていたのだが、20代になってリーアムは非常に現実的な理由で演劇の道を諦めてしまう。”演技だけで食べて行くのは到底難しい”ということをひしひしと感じたからであった。演技以外に特にできる事のなかった彼は、ギネスの工場に就職しフォークリフトやトラックの運転をするようになったのだ。そんな時に彼に大きな転機が訪れた。昼休みになってサンドイッチを食べようとしていたところ、普段無口な先輩が
「お前はまだ若い。ここにあまり長くとどまるな。」と話してくれたのだった。これを聞いたリーアムは大きな衝撃を受けた。今までこれが自分の人生だと信じて疑わなかったからなのだが、この時ふと忘れていた長年の夢を思い出した。・・・赤いカーテンが開き、明るい照明が舞台を照らす。そして舞台の上には俳優としての自分の姿。この日以降、彼は工場勤務の時間を減らし、週に3日間仕事が終わった後には繁華街に行き、演劇団の活動も並行して行うようになったのだった。
〜現実と夢の実現との折り合いをつけるって、本当に難しい事だね。でも若い時にしか”夢の実現”に向かってエネルギーを爆発できないものな。普段無口な先輩のアドバイスを聞き入れていなかったら、一生の後悔をしていたかもしれないね。

この時、工場から繁華街へは40kmも離れていたのだが、車も無かった上に当時公共交通機関もあまり整っていなかったため、主にヒッチハイクしかなく、ヒッチハイクをしながら工場と演劇団を行き来していたというのだ。この時が1976年で、こうして始まった演劇団の活動は4年も続いたのだそうだ。そうもしているうちに、演劇を見に来ていたある映画監督の目に留まり、リーアムはスクリーンデビューをすることになるのだった。
この映画は1981年の作品「エクスカリバー」であり、あの有名なアーサー王の伝説を扱った映画で、アーサー王から熱い信頼を受ける騎士”ガウェイン”役にキャスティングされたのであった。30歳になってようやく映画デビューを果たす。この撮影を控えてリーアムは、胸の高鳴りを抑えることができないほどであった。できるだけ中世の騎士らしい姿を演出するべく、髪も髭も伸ばして準備怠りなく撮影に臨んだはずが、監督は彼に中世の騎士のヘルメットを被せたのであった。実際に顔を見せるシーンはそれほど多く無かったはずが、彼の演技は時代ものにピッタリだという評価を受け、その後もファンタジーの人物や時代物でチョイ役を引き受けることになったのだという。
その出演作の中には、アンソニーホプキンスとメルギブソンが共演した「バウンティ/愛と反乱の航海」もあった。この映画では、アカデミー作品賞まで受賞した1935年の同名作をリメイクした映画だったはずが、1700年代に実際に起きた船上反乱事件をテーマにしたものになっていた。この映画では、暴挙の限りを尽くした船長役を演じたアンソニーホプキンスの演技が凄まじいと評判の映画である。ここではリーアムは、反乱に加担する荒くれ男の役を演じているはずなのだが、出番はとても短いものになってしまっていた。

別れてそして、新作「ミッション」名優ロバートデニーロとの出会い

「エクスカリバー」で知り合ったヘレンミレンと別れた(1985)直後、「ミッション」という映画に出演し、新たな出発をしたのだった。この映画は1986年カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したこともある話題の感動映画で、文明の不毛の地に行った宣教師たちや原住民たちと力を合わせて侵略者たちに立ち向かうというストーリーだった。またこの映画は、美しい旋律のサントラでも有名で、歴史に残る映画となった。特に「ガブリエルのオーボエ」という曲は、「ミッション」という映画は知らなくても、どこかで聞いたことのある人も多いほど世界中の人に愛されたのであった。

この映画の撮影中にリーアムは、名優ロバートデニーロとすぐに仲良くなったのだが、映画界の大先輩だった彼に何度もアドバイスを求めることがあったという。この時、デ・ニーロは、
「できる限りシンプルに演技することが、ディテールまで最高に仕上がる演技のコツだ」と、助言していた。これを聞いたリーアムの演技観が変わってきた。そしてデ・ニーロは彼に、いつでもチャンスを掴めるように、いっそのことハリウッドに越してきてはどうかと提案してくれた。そこで彼は生まれ育った英国の地を離れ、本格的に米国へと足を踏み入れることになったのであった。

いざ、米国進出!

しかし、他国での生活は彼が想像したものとは大きくかけ離れ、あちこちから連絡が来ると思っていたオファーは全く来ず、全世界から俳優が集まる此処ハリウッドでは、自分もただの平凡な俳優の一人であることを思い知らされた。たまに以前から知っていた映画関係者が彼を”明日、一杯どう?”と集まりに誘ってくれたりしたが、彼独特の内向的な性格からか、モジモジしながら来るのが常だったそう。このようなことが繰り返されたため誘ってくれる集まりも次第に減り、作品への出演オファーもやはり目立って減り始めた。この頃、助演だけでいくつかの映画を転々とし、これといったヒット作もないまま数年という時が経っていた。

映画「サティスファクション」での共演から、当時無名女優だったジュリアロバーツとの恋愛・別れを経験した頃の暗鬱な状況は、彼の作品選びにも影響を及ぼしていたのだった。「容疑者」「パトリックスウェィジ/復讐は我が胸に」「疑惑に抱かれて」「ダークマン」など暗い雰囲気の作品が中心となっていたのだ。「ダークマン」を除けば、全て助演という低飛行ぶりだった。

スティーブン・スピルバーグ監督との出会い

こうして歳月はあっという間に流れ、いつの間にかリーアム・ニーソンも40代になっていた。この当時、疲れ切っていたリーアムは映画界を離れ、ある演劇に出演中であった。そしてこの演劇を見にきていた観客の中にスティーブン・スピルバーグがいたのだった。ちょうど時期作の俳優を探していた彼は、リーアムこそ自分が探していたイメージそのものだと思ったのであった。実はリーアムは数ヶ月前にスティーブン・スピルバーグの次回作のオーディションを受けていて、その時はあまり気に入られずあっさりと脱落したものだったのだが・・・。
しかし、舞台の上でもう一度見たリーアムニーソンは、非常に魅力的だったということらしい。
〜リーアム・ニーソンって、オーデションとかで演技するよりも、大きな”舞台映えする俳優”なんですねえ。193cmの長身で大きな体で繊細に演技する姿は、さぞ舞台上で輝く魅力を備えた俳優さんなのだと思う。

「シンドラーのリスト」主演リーアム・ニーソン

スティーブン・スピルバーグ監督がリーアムにオファーした作品こそ、感動的な実際の事件をテーマにした映画「シンドラーのリスト」だったのである。
スピルバーグ監督の「有名な俳優がこの役を引き受けては、その俳優特有のイメージのせいでストーリーに集中できなくなる」との判断から、”あえて認知度の低い俳優を探した”とのことだった。
この映画で、リーアムは42歳にして人生初となるアカデミー主演男優賞にノミネートされたのだった。主演男優賞の受賞こそ逃したものの、作品賞・監督賞・作曲賞を含め、その年のアカデミー賞17部門を席巻したのだ。

翌年、映画「ネル」のヒット

この翌年には、ジョディ・フォスターと共演した「ネル」という映画をヒットさせている。この作品では、難役のフォスターを助けて心を開こうとする地元の開業医役を演じている。この映画は制作費の4倍以上の収益を生み出してヒットし、フォスターは数々の賞賛を得ることになった。
こうして「シンドラーのリスト」「ネル」という2本の映画を通し、40代前半にてリーアムはついに日の目を見ることになった。
のは、束の間のこと。
その後6年間ヒット作は1つもなく、相次いで出演作が大コケするという泥沼にハマってしまったのだった。

ジョージ・ルーカス監督との出会い

「シンドラーのリスト」での大成功後、6年間のスランプに陥っていた、そんな彼を救ってくれた人物とは、・・・アメリカ人の永遠の愛”「スターウォーズ」の父”と呼ばれるジョージルーカスだったのだ。16年ぶりに新たに制作するスターウォーズ・シリーズで主演に引けを取らない重要な役どころで、主人公のメンターとなる人物を演じる俳優をルーカスは探していたところ、周りの俳優さんたちが尊敬して従う俳優として、”リーアムニーソン”の名前が上がったというのである。カリスマ性のあるイメージを備えているうえ、他の俳優たちから尊敬される存在であることがメンター役にピッタリだとキャスティングされたのだった。1999年、こうしてスターウォーズシリーズの新作は、リーアムニーソンとユアンマクレガーを主演にして公開されたのであった。
この映画自体は好き嫌いが分かれる評価を受けたなか、リーアムニーソンの活躍だけは高評価一色で、50代にしての大作出演で大成功を得たと言えよう。

浮き沈みの激しいショービジネスの世界で、耐えて耐えてビッグな役柄にキャスティングされることが、どんなに大変なことか分かる気がするよね。ほんのちょっとしたきっかけが俳優人生を左右するストーリーになっていくが、それこそ”ドラマティック”と言える”生きかた”といえよう。

 

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