今や”ブロンドヘアーのエルム男”といえば、映画「ロード・オブ・ザ・リング」出演で真っ先に思い浮かぶ俳優であり、
映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズでも、ジョニー・デップと共に世界にその役柄名を轟かせてきたオーランド・ブルーム。
彼はその出生から数奇な運命を辿ることになるのだが、オーストラリア出身のスーパーモデル・ミランダカーとの出会いによって、また大きく人生の舵を切ることになるのである。
今ならいろんな倫理観より非難する対象にもなりうるのだろうが、とにかく彼、人生のさまざまな荒波を乗り越えてオーランドは生きてきた。
できるだけドラマチックに、重い倫理観に押し潰されないように、
彼の歩んできた足跡を御紹介したい!
プロフィール
Orlando Bloom 英国 ケント州カンタベリー、1977.1.13生誕 48歳
オーランド(Orlando)という名前は、16世紀のイギリスの作曲家であるオーランド・ギボンズからとって付けられたものらしい。
父親は南アフリカでネルソンマンデラの運動を支援していたことがあるハリー・ブルーム、母親は外国語学校を経営していたソニア・ブルーム。
「実はあなたの父親は、本当の父親ではない」と言われる
彼が13歳になった年、彼の母ソニアが深刻な表情をしながら彼を座らせ、とても信じがたい話をし始めた。「実はあなたの父親は、本当の父親ではない」と言い、「本当の父親は、隣のおじさんだ」と言うのである。あまりにも衝撃的な告白だったため。オーランドは母のこの言葉が冗談なんかではないと受け入れるまでしばらく時間がかかったようであった。
オーランドは目の前が真っ白になる程の衝撃を受け、「自分が不倫によって生まれた子供だったなんて」と思い、思わず涙が込み上げてくるほどであった。
・・・思春期の感じやすい時期に、さぞや激震が走ったのだと思うよ。
ところが、この衝撃をしっかりと受け止める間もなく、続く母の言葉が彼をさらなる混乱の渦へと追い込むのだった。
「あなたは決して不倫で生まれたのではなく、実はあなたのお父さんの許可を得て、隣のおじさんとの間に産んだ子なんだ。」
と言うのだった。
一体母は何を言っているのか・・・。
オーランドはまたしても母の言葉を理解するのに、かなりの時間がかかったのだった。
〜このコトの実情は、このようなものだった。
オーランドの父親であるハリー・ブルームは、妻でありオーランドの母親であるソニア・ブルームより27歳も年上だった。高齢だったことに加え、脳卒中の既往まであった為、健康面があまり思わしくなかった。
しかし、自分が死ぬ前にどうしても子供が欲しかったハリーは妻のソニアに衝撃的な提案をしたのであった。
妻に隣の家の男性と肉体関係を結び、その男性の精子で子供を儲けようというものだった。第三者から見たら「自分の妻を妊娠させてほしい」という頼みは、全く奇想天外で笑ってしまうアイデアであったに違いない。
それでも、どんな方法を使ってでも子供が欲しかったブルーム夫妻は、ついに隣の家の男性を訪ねて「子供を二人、妊娠させてほしい」という、信じがたいお願いをしたのであった。
〜常識的には全く理解しがたい頼みであったのだが・・・
ところが、隣の男性はこの無理な頼みをあっさりと受け入れたのだった。
そうしてオーランドと彼の姉であるサマンサの姉弟は、母と隣の家の男との情事によって誕生したのだった。そして、子供達が産まれて間もなくハリーブルームは彼自身が心配していた通り、体調悪化により亡くなったのだった。
・・・子供を欲するカップルの想像し難い強い気持ちというのは、何度も聞く機会があるが、実行に移してしまうブルーム夫妻の行動力は切実なるものであったのだと思う。こんな思いを抱いて、この世に生を受けた子供たちはどこか特別な意味があったのだと思える。
父を失った悲しみだけでも辛かったのに、オーランドは隣のおじさんが本当の父だという青天の霹靂のような秘密を知り、これはちょうど思春期を迎えていたオーランドのアイデンティティに大きな混乱を与えたのだった。
あまりにショックが大き過ぎたせいか、7歳の頃から患っていた※ディスレクシアの症状まで、この時どんどん悪くなっていくことになったのだ。
※ディスレクシア:難病、”読み書き障害”とも言われる。文字が正確に見えないため文章を理解するのに、人の5倍ほど時間がかかると言われている。台本を読む俳優業にとっては致命的になる。
ディスレクシア治療のための演劇活動
当時ディスレクシア治癒のための方法として、”演劇活動”が流行しておりオーランドの母親も息子に演劇を勧めてきた。ディスレクシアのせいで自ら台本を読むことができなかったが、彼は非常に親身になってくれる演劇の先生と出会ったことで、前に進む勇気を失うことはなかった。
「諦めちゃダメだ!」と。
演劇の先生は彼のために一行一行セリフを録音したテープまで作ってくれたそうな。
・・・こんな良い演劇の先生なんて、そうそういないよね。
俳優になるきっかけ
オーランドは、少年時代に「スーパーマン」を観て、クリストファー・リーヴが演じていることを知り、俳優に憧れるようになる。
16歳の時にロンドンのナショナル・ユース・シアターに参加し、姉と同じくギルドホール音楽演劇学校に入学して演劇を学んだのだった。
20歳の時、オーランドはギルドホール在学中に「オスカー・ワイルド」の端役で映画デビューを果たす。その頃より早くから才能を認められ、22歳になったギルドホール卒業公演では主演を務め、卒業からわずか2日後に映画「ロード・オブ・ザ・リング」でエルフ族のレゴラス役のオーディションに合格している。
このように見てくると、オーランドが世界的な俳優になるまでに、そう時間はかからなかったと言える。
今では大スターとなったトムクルーズやブラットピットといえども、フツーに長い下積み時代というものを経験してきているのに対して、
オーランド・ブルームだけは正に「幸運」に恵まれて歩んできている、と言えるだろう。
デビューから間もない短い下積み時代のこと、他の役のオーディションを受けるためにやってきた時のことだった。いよいよ幸運に恵まれる出来事が起こったのだ。
映画「ロード・オブ・ザ・リング」オーディション合格!
「ロード・オブ・ザ・リング」の監督であるピータージャクソンは、オーディションにやってきたオーランドを目にするやいなや
「レゴラスが現れた!」と叫んだのだった。
まさに自分が思い描いていた弓の名手のエルフキャラクター「レゴラス」そのものだと。こうして無名俳優だったオーランドは思いがけず、巨額の資本が投資されるファンタジー映画「ロード・オブ・ザ・リング」で主演クラスのキャラクターを演じることになったのだった。
実は、原作小説を忠実になぞってみれば、「レゴラス」はそれほど出番の多いキャラクターではないのだが、オーランドブルームのエルフのようなイメージがあまりにもキャラにピッタリだというので監督が、彼の出番を大幅に増やしてくれて、事実上”主演クラス”の役となり得たのであった。
どんな姿勢でも百発百中させる華麗な弓術とアクロバットなアクションによって、老若男女問わず大人気を博し、やがて弓矢を射るキャラクターを代表する”時代のアイコン”となったのである。
その後、「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズへ
オーランドの活躍は、その後の「パイレーツオブカリビアン」シリーズへと繋がっていき、とぼけたキャラクターを演じて爆発的な人気を博したジョニー・デップ、時代劇にピッタリなルックスで好評を博したキーラ・ナイトレイと共に、オーランドブルームは主人公3人組の一人として、映画界では長年低迷していた”海賊もの”というジャンルを復活させたのであった。
ミランダ・カーとの出会い
しかし、最盛期を謳歌していたオーランドの人生は、一人の女性との出会いによって急変し始めたであった。
この女性こそ、ミランダ・カー。
オーストラリア出身のスーパーモデルで少女のようなあどけない顔をして、ボディは豊満ながらも官能的なスタイルを併せ持つ素晴らしい女性。
そんなミランダとあるイベントで挨拶を交わすことになったオーランドは、文字通り彼女に一目惚れしてしまい、連絡先を教えてほしいと猛アタックを開始。
しかし、当時ミランダは「彼氏がいるから」と言って連絡先を教えてくれなかったそうな。すると、オーランドは翌日エージェントを通して彼女の電話番号を聞き出し、
「友達としてでいいから、仲良くして欲しい」
とメールを送ったりもした。
当時、ミランダは本当に、オーストラリアの歌手であるジェイ・リオンと3年以上交際していただけでなく、同棲までしていたのだった。
〜であっても、オーランドの猛アタックの甲斐あり、だんだん彼に惹かれ始め、
ついにジェイ・リオンに別れを告げて、オーランドに乗り換えたのだった。
ミランダカーの駆け引きのスキルは、実に目を見張るものだった。
どんなにオーランドをヤキモキさせたかというと、付き合い始めから6ヶ月以上キスさせなかった上、スキンシップさえも段階を踏んでから少しずつしか許されず、オーランドはとてもジレッタかったと回想している。
ミランダとの結婚生活・出産
そしてこの二人は遂に3年間の交際の末に、ミランダが子供を身籠り、妊娠4ヶ月の時に非公開で結婚式を挙げたのだった。
結婚から間もなくして息子が生まれたのだが、驚くことにこの息子の名前はミランダカーの初恋の男の名前にちなんで付けたらしいのだ。
”フリン・クリストファー・ブルーム”
この名前に関する、事の顛末は次のようなものだ。
ミランダが高校時代2年間付き合っていた初恋の人がいたのだったが、交際中に男性が突然の事故に遭い、一夜にしてしてこの世を去ってしまうという悲劇的な別れを経験していたというのである。この時ミランダはお葬式で亡くなった初恋の彼に1通の手紙を捧げたのだった。この手紙には、
「まだ見ぬ遠い未来、子供を産むことになったら、あなたの名前を付けるわ」
という約束が書かれていたのである。
このようなミランダの初恋ストーリーを聞いたオーランドが、生まれたばかりの息子に亡くなったミランダの初恋の彼氏の名前を付けることに同意したのだった。
・・・このニュースが伝わると、世界中の多くの人々から、
「オーランドブルームは、なんて懐が深い男だ」と、
驚嘆と賞賛の声が挙がったというのである。
確かに、同じ男として凄いことだと思うね。
妻の話を受容して、この先の人生で息子の名付けの真実を共有していくんだからね。
ミランダに関する衝撃的なニュースの原因はジャスティン・ビーバー
しかし、子供が生まれた翌年、オーランドは妻ミランダに関するある衝撃的なニュースを耳にし、眠れない日々を送ることになった。
事件の始まりはミランダが参加したある有名下着ブランドのファッションショーの後に開かれた打ち上げパーティーで、既婚女性だったミランダと当時18歳の人気歌手ジャスティン・ビーバーが過剰なほどお互いにボディタッチをしながら親密そうな様子を見せたかと思うと、その日の深夜同じホテルに向かったと報道されたのだった。
・・・普通なら、出産した翌年に”こんなこと”あり得ないでしょ!?と思うのだが。
赤ちゃんがいながらぁ??
このデマは、周りの人たちのインタビューによって、さらに信憑性を増していったようだ。ミランダのモデル仲間が、ミランダ本人から「ジャスティンビーバーとホテルで会った」という話を聞いたと証言したとか。
同じホテルで共に過ごしたこの二人は、その日以降露骨でいやらしい言葉で頻繁にメールをやり取りしていたということも暴露されている。
この一連の報道を耳にしたオーランドはショックを受けていた。
ミランダは、事実無根だと強く否定したものの、この事件以降オーランドとミランダの関係は急速に冷え切っていったそうな。
二人は離婚を発表、そして良い関係へ
結局、壊れてしまった夫婦間の信頼を取り戻すことができず、この二人は結婚3年目にして離婚を発表したのだった。
2013年に破局して元妻となったミランダカーは、オーランドが離婚後に10年近く交際したケイティ・ペリーとの2025年、この度の破局について聞かれた席で、
オーランドは「大人として」、「良好な関係」を維持できるように、「堅実なプロセスと互いのリスペクトを持って」別れたようだとした上で、
「ええ。特に子供がいる場合は、そうすべきだと思います。子供のニーズが最優先です。調和が保たれることが子供にとって大切ですから」と話したそうだ。
ミランダはまた、「それに、一緒に子どもをもうけたということは、自分の人生に一生関わるということだから、平和な方が良いですよね」と続け、
「敵意があったら、自分が辛いだけ。互いに許すことで、自分自身の人生が平穏になり、より良い気持ちで暮らせる」と語っていたそうだ。
彼らの良好な関係として、3人は親しくイベントでミランダとケイティが仲良くポーズを取ったこともある。
今では、オーランドとケイティのことが「大好き」と語るミランダであった。
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